皇居前にはご病状を案じる人の姿が(1988年9月撮影) 昭和天皇の容体が急変し、突然吐血されたのは、今から37年前の1988年9月19日のことだった。深夜に流れた「天皇倒れる」の報は瞬時に日本を揺るがし、国民にひとつの時代の終わりを予感させた。
明治期に日本文化を世界へ紹介した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の思想が、戦後日本の運命を左右していた。連合国軍最高司令官総司令部・GHQのボナー・フェラーズは八雲の著書を愛読し、日本人の精神性や天皇崇拝を深く理解。昭和天皇の戦争責任を問えば「国家が ...
戦後70年だった15年に、「日本のいちばん長い日」で石原裕次郎賞、監督賞の2冠に輝いた。その10年後の戦後80年の年に、原田さんは逝った。亡くなった8日は、1941年(昭16)に日本が米国に真珠湾攻撃を仕掛けた、その日だった。「日本のいちばん長い日」 ...
昭和二十二年九月十九日、宮内府御用掛の寺崎英成がGHQの政治顧問、W・J・シーボルトを訪ねて昭和天皇の意向を伝えた。筑波大学教授の進藤榮一氏が米国立公文書館で発見した会談記録は『世界』昭和五十四年四月号「分割された領土—沖縄、千島 ...
長い日本の歴史において第二次世界大戦での敗戦は大事件といえる。戦闘は80年前に終わったが、例えば「対等」とは言い難い現在の日米関係を見れば分かる通り、戦争の影響は今も残り、しかも国のありようを規定してもいる。 破滅的な戦争への道を ...
皇居・吹上御所の庭を散策する昭和天皇と香淳皇后(1986年4月)=共同 宮内庁は9日、昭和天皇の后(きさき)で上皇さまの母、香淳皇后の生涯を記録した「香淳皇后実録」を公開した。先の大戦後、新憲法のもとで天皇が国民統合の象徴と位置づけられる ...
保守主義の立場から国家や教育、歴史などについて幅広い言論活動を展開している麗澤大の八木秀次教授が10月28日、「沖縄を守った昭和天皇~皇位継承を考える~」をテーマに那覇市内で講演する。沖縄「正論」友の会主催のセミナーだが、会員以外も参加 ...
映画「日本のいちばん長い日」(公開中、原田眞人監督)の舞台あいさつが8月13日、東京都内で行われ、役所広司さんや本木雅弘さん、松坂桃李さん、原田監督が登場した。 映画は、半藤一利さんの同名ノンフィクション(文春文庫)が原作。太平洋戦争 ...
9日に公表された昭和天皇のきさき、香淳皇后の記録「香淳皇后実録」は日本近現代史の重要資料となる一方、編さん過程や内容には課題も浮かぶ。 「皇后研究の素地ができた」。香淳皇后の足跡をたどる公式記録の完成に、宮内庁の編さん担当者は達成感 ...
公開された「香淳皇后実録」(16日、宮内庁)=代表撮影 宮内庁は19日、昭和天皇の皇后で上皇さまの母、香淳皇后の生涯をまとめた「香淳皇后実録」が完成し、天皇、皇后両陛下と上皇ご夫妻に奉呈したと発表した。実録は10月9日、同庁のホームページで ...
昭和22年10、11月 福井平野をうるおす九頭竜(くずりゅう)川は、岐阜県境の油坂(あぶらさか)峠付近に源を発し、坂井郡三国町で日本海に注いでいる。全長110キロ。九頭竜という名は「崩れ川」の転訛(てんか)したもの、と『大日本地名辞書』は ...
戦時中、極限状態のジャングルを生き抜き、のちに昭和天皇をパチンコで撃った元日本兵――奥崎謙三の破天荒な言動を追った『ゆきゆきて、神軍』は、今なお日本のドキュメンタリー映画の最高傑作と名高い。同作のメガホンをとった映画監督の原一男と ...