昭和天皇 の妻、香淳皇后の生涯を記した「香淳皇后実録」が公開され、終戦前後の皇后の動きはもとより、昭和天皇や天皇の母・貞明皇后の動きまでもが新たにわかりました。皇室では終戦に向かってかなり複雑な動きがあったことを、明治学院大名誉教授の 原武史 ...
昭和天皇の 后 ( きさき ) ・ 香淳 ( こうじゅん ) 皇后の生涯を記録した「香淳皇后実録」が完成し、18日に天皇、皇后両陛下に、19日に上皇ご夫妻にそれぞれ献上(奉呈)された。宮内庁が17年かけて編さんした。誕生から逝去までの97年3 ...
天皇陛下は昭和22年8月10日午後、岩手県から青森県三戸郡舘村にお着きになった。県下の優良馬22頭をご覧になったあと、同村の農家、田村太蔵氏の家にお入りになり、人と馬との一緒の生活を興味深くご視察。 翌日、八戸魚市場、青森市の連絡船桟橋 ...
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戦後の命運を決めた八雲の遺作 天皇制存続の背景にマッカーサー ...
明治期に日本文化を世界へ紹介した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の思想が、戦後日本の運命を左右していた。連合国軍最高司令官総司令部・GHQのボナー・フェラーズは八雲の著書を愛読し、日本人の精神性や天皇崇拝を深く理解。昭和天皇の戦争責任を問えば「国家が ...
世界的な博物学者、南方熊楠(1867~1941)。その生前の姿を収めた映像が昨年、新たに見つかった。1929(昭和4)年に昭和天皇が和歌山を訪れた際に撮影された記録映画で、和歌山県の田辺湾にある神島で「ご進講」をする熊楠の様子が ...
香淳皇后の生涯を記した公式記録「香淳皇后実録」が10月9日に宮内庁のホームページで公開されました。実録から、生涯が“学びの日々”であったこと、家族を大切にしていたことなどが浮かび上がりました。戦後、新しい“皇后像”を示したその素顔に ...
終戦後の昭和天皇には何が待ち受けていたのか。朝日新聞の北野隆一記者は「GHQの思惑もあって退位しなかった昭和天皇は晩年まで戦争への責任を問われ続けた」という――。(第3回) ※本稿は、北野隆一『側近が見た昭和天皇』(幻冬舎新書)の一部を ...
1945年8月15日。終戦の日、昭和天皇は国民に何を伝えていたのでしょうか。「玉音放送」全文の現代語訳を紹介します。 1945年8月15日正午。 昭和天皇がポツダム宣言を受諾し、終戦を告げる「終戦の詔書」を朗読した音声、いわゆる「玉音放送」がラジオで ...
天皇、立憲制の枠遵守 第七章「昭和戦争」責任検証最終報告 責任を負うのは、天皇ではなく各国務大臣だった。「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」とされ、法律や勅令、詔勅は、国務大臣の副署が求められた(五十五条)。昭和天皇は、法的には ...
昭和天皇の87年の生涯をゆかりの品々とともに紹介する昭和天皇記念館。今年で開館20年を迎えたことと、昭和100年の節目であることに合わせてリニューアルを計画しているが、資金を集めようと実施したクラウドファンディング(クラファン)が目標額に ...
戦後80年の8月。東京・九段北に鎮座する靖国神社で、本殿の正面に位置する拝殿のさい銭箱の脇に以下の和歌が掲げられた。 太平洋戦争開戦時の東条英機首相ら極東国際軍事裁判(東京裁判)のA級戦犯が、靖国神社に合祀(ごうし)されたのが1978(昭和53 ...
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