1999年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会。当時、「破壊王」と呼ばれ新日本プロレスの強さの象徴でもあった橋本真也が、小川直也から実質的なKO負けを喫した一戦は「1・4事変」として、今でもファンの間で語り継がれています。 余りにも衝撃的 ...
移籍のチャンスを逃した理由は「遅刻」? 「あとから聞いたけど、橋本選手は正式に移籍の話をするという会合に寝坊して行けなくて、それでウヤムヤになったという話だよね。そんな先輩からの大事な契約話を寝坊してトチるというのは、さすが橋本選手 ...
11日に没後20年を迎えた〝破壊王〟橋本真也さんは、マット界に数多くの〝伝説〟を残した。橋本さんの〝側近中の側近〟だった新日本プロレスOB・田山正雄レフェリー(54=フリー)のインタビュー後編は、大紛糾した1999年1・4東京 ...
マイペースな武藤敬司にクレバーな蝶野正洋、そしてちょっとトンパチな橋本真也――。そんな同期入門の3人によって1988年に結成され、瞬く間にスターダムにのし上がった「闘魂三銃士」ですが、早いもので橋本選手の逝去から20年が経ちました。 そこで ...
「闘魂三銃士」として、橋本真也、武藤敬司とともに、数々の激闘を繰り広げてきた蝶野正洋。“黒のカリスマ”として今もなおプロレス界に大きな影響力を保ち続けている彼が思う、“破壊王”「橋本真也」とは。※本稿は、小川直也+佐山聡+蝶野正洋 ...
【プロレス蔵出し写真館】7月11日は〝破壊王〟橋本真也の没後20年だった。脳幹出血で40歳という若さで亡くなった橋本は、破天荒なキャラクターで昭和、平成を代表するプロレスラーとして知られた。 晩年のZERO-ONE時代は右肩のケガに ...
橋本選手は日本と同じようにバチバチ蹴ったりする試合をしてたんだけど、それをカルガリーの選手たちが嫌がったって聞いた。それにリング外とかでいろいろイタズラしたせいで、今でいうコンプライアンス違反で出場停止も喰らったと。それで本人も ...