この戦犯自主裁判について、補足して語っておかなければならないことがある。
戦犯自主裁判の勅令案が結果的に現実化しなかった理由は、確かに昭和天皇がかつての臣下を自らの名で裁くという事態を嫌ったということが主たる要因である。しかし、当時の状況をより精密に見ると、途中から消極的になった外相・吉田茂の姿勢なども影響しているように思 ...
現代の暮らしはGHQ(連合国軍総司令部)による占領政策を経た戦後社会と地続きにある。終戦から80年の流転と不変を検証する連載「そして続く戦後1945→2025」の第3部は戦没者に対する追悼のあり方への影響を探る。 隅田川に面し、東京都台東区と墨田区に ...
東ティモールは第二次大戦中の3年半、日本軍の占領下にあった。元日本兵らの手記や証言には慰安所の存在が残り、現地の女性たちも従軍慰安婦としての体験を語り継いできた。当事者の多くはすでに亡くなっているが、戦後80年の節目に、「最後の生存者」とされる女性の ...
戦後80年過ぎても、日本人が「自虐史観」にとらわれ、「憲法改正」すらできない背景として、連合国軍総司令部(GHQ)が6年8カ月の占領期に、徹底的な「検閲」と「プロパガンダ」を行ったことが影響しているとの指摘がある。今年復刊となり注目されて ...
夏の強い日差しが照り付ける。ポーランド北東部イエドバブネ市。ナチス・ドイツ占領下の1941年7月10日、ここで300人以上とみられるユダヤ系住民が他のポーランド住民によって納屋に押し込められ、生きたまま焼かれた。84年後の週末、この地を訪れると ...
パレスチナ自治区ガザ地区で、イスラエル軍の攻撃と物資搬入の制限により多くの民間人が殺害されている。食料を求め、物資配給所の近くなどで射殺されたパレスチナ人は1800人を超えた。乳児を含む子どもたちが日々人為的に餓死させられるのを ...
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