明治期に日本文化を世界へ紹介した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の思想が、戦後日本の運命を左右していた。連合国軍最高司令官総司令部・GHQのボナー・フェラーズは八雲の著書を愛読し、日本人の精神性や天皇崇拝を深く理解。昭和天皇の戦争責任を問えば「国家が ...
戦犯自主裁判の勅令案が結果的に現実化しなかった理由は、確かに昭和天皇がかつての臣下を自らの名で裁くという事態を嫌ったということが主たる要因である。しかし、当時の状況をより精密に見ると、途中から消極的になった外相・吉田茂の姿勢なども影響しているように思 ...
80年前の夏、昭和天皇の御聖断によって大戦が終結し、日本は戦後復興への歩みを始めた。8月15日の正午にラジオ放送された「終戦の詔書」にその基本姿勢が示されているが、この詔勅とは別に、昭和天皇は終戦に際して次の4首の御製を詠まれた。
1939年9月、欧州戦線で第二次世界大戦が始まった。40年6月、フランスがドイツに降伏した。フランス領インドシナ(仏印、現在のベトナムなど)は、政治的な空白地帯となりつつあった。
クリップ機能は有料会員の方のみお使いいただけます。 西日本新聞meとは? 1971年9月の昭和天皇とニクソン米大統領の会談は、日本の頭越しとなった同7月の訪中発表などを受け、日米関係が動揺する... 昭和天皇、ニクソン大統領の訪中に否定的見解 71年 ...
敗戦後の日本で最大の課題となったのは憲法改正だった。国務大臣の松本烝治らによる旧態依然とした憲法草案に対して、マッカーサーはGHQ草案と呼ばれる新たな憲法草案を突きつけた。天皇を象徴とする草案を昭和天皇自身が了解したことが、日本国憲法 ...
天皇、皇后両陛下が主催する秋の園遊会が10月28日午後、東京・元赤坂の赤坂御苑で行われた。秋晴れのもと、日本中央競馬会(JRA)騎手の武豊さんら約1500人が出席したが、今回は、途中から両陛下と分かれて愛子さま、秋篠宮ご夫妻や佳子さまら皇族方が、招待客と歓談した。
一方、高野槇は和歌山の高野山に多い日本固有の直立する常緑樹で「大きく真っすぐ育ってほしい」との想いが込められた。こうした命名の経緯などは、宮内記者会記者室に隣接する会見室で日野西氏により説明が行われ、韻の秘話が明かされたというわけだ。