“燃える闘魂”と呼ばれた元プロレスラーで、参院議員も務めたアントニオ猪木(本名猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日午前7時40分、心不全のため自宅で死去した。79歳。横浜市出身。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中でありながら、今年7月に ...
プロレスVS格闘技の最大の戦いは1976年6月26日、日本武道館で実現したアントニオ猪木とプロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリの格闘技世界一決定戦である。 「今世紀最大のスーパーファイト」と謳われた一戦は、全米170カ所、カナダ15カ所 ...
1日に死去したアントニオ猪木さん(享年79)は、1960年にプロレスデビューを果たし、98年に引退。歴史に残るムハマド・アリとの異種格闘技戦を始め、ライバルたちと名勝負を繰り広げ、数々の伝説を残した。 ストロング小林戦(74年3月19日 蔵前国技館 ...
今、日本全国でクマ被害が急増して深刻な問題になっているが、かつて“クマ殺し”の異名で格闘技ファンの注目を浴びたのが、極真空手コネチカット支部に所属していたウィリー・ウィリアムスである。
1976年6月26日、日本武道館でアントニオ猪木vsモハメド・アリの『格闘技世界一決定戦』が行われた時、初代タイガーマスクは素顔の「佐山サトル」として1ヵ月前にデビューしたばかりの新人レスラーだった。後に自ら総合格闘技を作り上げる初代タイガーは ...
新日本プロレスに彗星のごとく現れ、瞬く間に一大ブームを巻き起こした“初代タイガーマスク”こと佐山聡。そんな伝説的存在が、1999年1月4日に東京ドームで行われ、今も語り継がれる“事件”――橋本真也対小川直也の「1・4事変」について語った。※本稿は、小川直也+佐山聡+蝶野正洋ほか『証言 橋本真也 小川直也、佐山聡、蝶野正洋らが語る破壊王と「1・4事変」の真相』(宝島社)の一部を抜粋・編集したものです ...
今から46年前の1979年(昭和54年)11月30日、徳島港でのひとコマ。新日本プロレス一行は前日、愛知・一宮での興行を終えて神戸港から水中翼船に乗り込んだ。
「誰かがやらなきゃ…上の人も大変やったと思う」 結局、ヒクソン・グレイシー戦は正式に発表されぬまま流れたが、その後も中西はオリンピック出場の実績と、120kgという恵まれたヘビー級の肉体を見込まれ、本人の希望とは関係なく外敵との勝負の世界 ...