たしかに1マルクは1マルクであり続けたが、そのお金で買えるものはなくなった。第一次世界大戦勃発前夜の1913年、ドイツのマルク、イギリスのシリング、フランスのフランの価値は、ほぼ等しかった。1923年末には、1シリングや1フランは、最大1兆マルクと交 ...
1926年12月25日に始まった昭和元年から数えて、今年は「昭和100年」の節目の年。29年の世界恐慌を経て第2次世界大戦に向かった「負の歴史」と、敗戦の焼け野原から復興した日本の成功体験としての「高度経済成長」、そして迎えたバブル経済の崩壊にリーマ ...
11月11日は第一次世界大戦停戦記念日。世界の多くの国が参戦した第一次世界大戦は本当に避けられなかったのか?300時間を超える貴重な記録映像を手がかりにして第一次世界大戦の真実に迫るシリーズ全5 ...
毒ガスを防ぐガスマスクを着用し、塹壕に布陣するオーストラリア兵。1901年にイギリスから独立していたが、その後もイギリスが関わった戦争に参加している。写真はベルギー西部のイーペルで1917年に撮影されたもの。 ポーツマス講和会議の全権を務めた ...
第二次世界大戦後、日本を占領した「GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)」。 GHQが日本を占領した目的は、「日本の非軍事化」と「民主化」を推進することでした。 連合国(GHQ側)にとって日本の非軍事化と民主化には、どのような意味やメリットがあっ ...
先週は、フレンチバロックの作曲家、フランソワ・クープランを取り上げましたが、今日はそのクープランの名前を名前に冠した20世紀の作品、モーリス・ラヴェルの組曲「クープランの墓」を取り上げます。 ヴェルサイユ宮廷が繁栄し、王家と共に音楽家 ...
第一次世界大戦中、フランスの戦場へ向かう航海の数日後にオーストラリア兵2人が書いた瓶詰めのメッセージが、一世紀以上経ってからオーストラリアの海岸で見つかった。 デブ・ブラウンによると、ブラウン一家は10月9日、西オーストラリア州 ...