当時はまさにバブル絶頂で、横浜ベイブリッジやレインボーブリッジといった長大橋の建設ラッシュに沸き、私も多摩川河口部と川崎航路を沈埋トンネルという特殊な工法で横断する一大事業の設計を担当していました。同時期には、青函トンネルや明石海峡大橋といった世界最 ...
石油危機による国の総需要抑制策を受け、建設が凍結された本州四国連絡橋(本四連絡橋)。再開のトップを切り瀬戸内しまなみ海道の大三島橋(伯方島ー大三島、328㍍)の着工が決まった。建設省(現国土交通省)の調査開始から20年近くがたっていただけに、関係者からは安堵(あんど)の声が上がった。日本最長のアーチ橋として昭和54(1979)年に完成した。
戦前から戦後にかけて活躍した写真家・石川光陽(1904~89年)の作品を紹介する企画展の第3期「終戦・復興する東京」が、昭和館(千代田区九段南1)で開かれている。太平洋戦争末期の45年3月から59年10月ごろまでの約40点で、戦争で荒廃した首都が再生 ...
都市再生機構(UR)は老朽化した団地の建て替えを進めるため、工事に参加する企業の負担軽減を進める。施工業者と連携して現場の効率化や入札資格の緩和を進め、URでの工事実績のない企業にも門戸を開く。民間企業による再開発ラッシュや慢性的な人手不足で入札が不 ...
日本の野球文化を支え、多くの名勝負と記憶を生んだ球場たち。しかし時代の流れとともに姿を消し、今ではもう訪れることのできない場所も少なくない。そこで今回は、日本野球史に深く刻まれながらも、惜しまれつつ消えていった“名球場”を紹介する。
建設技術研究所<9621> (東証プライム)は12月5日、同社が携わった「立野ダム建設工事」が日建連表彰2025「第6回土木賞」を受賞したと発表した。日建連表彰は、優れた建築物をたたえる「BCS賞」と、施工プロセスを含め社会基盤の価値を顕彰する「土木賞」で構成され、2019年に創設された制度である。
【読売新聞】 1903年(明治36年)1月、日本鉄道会社社長・曽我 祐準 ( すけのり ) (1844~1935年)は厳しい批判にさらされていた。 機関車の発注方法を競争入札から随意契約に変更したことで、特定企業との癒着を疑われたの ...
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