天野山金剛寺(あまのさんこんごうじ)は、大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山の寺院で、約1300年の歴史を誇る古刹です。 ☆歴史と創建 ・奈良時代(天平年間 729~749年):行基によって開かれたと伝えられています。 ・平安時代:弘法大師(空海)が修行した聖地ともされています。 ・平安時代後期:高野山で修行した阿観(あかん)が再興し、寺の勢力を拡大しました。 ・南北朝時代:後醍醐天皇と関係が深く、南朝方の一大拠点となりました。北朝の三上皇(光厳・光明・崇光)が幽閉された時期もあり、長慶天皇も行宮(仮の御所)としたことがあります。 ☆「女人高野」としての側面 ・後白河上皇の妹である八条女院(八条院暲子)が深く帰依したことから、金剛寺は八条女院の祈願所となりました。当時の高野山が女人禁制であったのに対し、金剛寺は貴賤を問わず多くの女性の信仰を受け入れたため、「女人高野」と呼ばれるようになりました。八条女院に仕えていた女性が金剛寺の住職を務めるなど、古くから女性との関わりが深い寺院です。 ☆文化財と見どころ ・国宝:金堂に安置されている木造大日如来坐像、木造不動明王坐像、木造降三世明
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天野山金剛寺(あまのさんこんごうじ)は、大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山の寺院で、約1300年の歴史を誇る古刹です。 ☆歴史と創建 ・奈良時代(天平年間 729~749年):行基によって開かれたと伝えられています。 ・平安時代:弘法大師(空海)が修行した聖地ともされています。 ・平安時代後期:高野山で修行した阿観(あかん)が再興し、寺の勢力を拡大しました。 ・南北朝時代:後醍醐天皇と関係が深く、南朝方の一大拠点となりました。北朝の三上皇(光厳・光明・崇光)が幽閉された時期もあり、長慶天皇も行宮(仮の御所)としたことがあります。 ☆「女人高野」としての側面 ・後白河上皇の妹である八条女院(八条院暲子)が深く帰依したことから、金剛寺は八条女院の祈願所となりました。当時の高野山が女人禁制であったのに対し、金剛寺は貴賤を問わず多くの女性の信仰を受け入れたため、「女人高野」と呼ばれるようになりました。八条女院に仕えていた女性が金剛寺の住職を務めるなど、古くから女性との関わりが深い寺院です。 ☆文化財と見どころ ・国宝:金堂に安置されている木造大日如来坐像、木造不動明王坐像、木造降三世明
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